足ることを知る

吾唯足ることを知る。(われただたることをしる)
という漢字が読めますでしょうか?

京都 龍安寺(石庭で有名なお寺)
Ryoanji Temple in Kyoto Japan

先日京都へ行った時、隣のグループのガイドさんが次のような説明をしていました。

「私達は、食べるものにも困らないし、
このように旅行に来る余裕もある。

十分満たされているのに、もっと欲しい、
あれが足りない、これが足りないという気持ちになる。
このようなことを戒めた言葉である。」

との説明に、皆神妙にうなずいていました。


この世の不満は、「欲しい」のに満たされないということですね。
「欲しいもの」とは、何でしょうか。

物質的なもの(食べ物、洋服、車、家、旅行)、
名誉的なもの(社会的な評価、称賛、ほめられたいという思い)
等でしょうか。

幸福の科学の教えでは、
全くこのような欲望全てを否定するわけではありません。

しかし、人間はつい自分に適切な限度以上のものを
欲しがってしまいます。

このような気持ちを戒めた言葉だと思います。

自分に適切なもの以上を欲しがっているかどうかは、
他人が見たらすぐわかりますが、
自分ではなかなかわかりません。

人のことは「あの人は欲深い」とか、
「努力しないで、成果だけ求めている」とか、
すぐわかりますよね。

これが自分のこととなると、全く見えないわけです。

自分のことを知りたかったら、
率直に誰かに聞いてい見たらいいと思います。

「自分はこう思うけど、あなたはどう思う?」

2,3人の意見を集約すれば、自分でなんとなく感じていたものが、
正しいかどうか、だいたいわかると思います。

(さらに一緒に仏法真理を学んでいる法友だと、
良く自分のことを観察していて、アドバイスしてくれますね。
自分も相手を観察していますが。。。)


結局何がいいたいかというと、

「過ぎた欲は、不満という地獄的な思いに通じて良くないが、
適度な欲はこの世の発展のために必要である。」

という難しいことなんです。

例えば、「いい会社に入りたい。」とか、思うことは悪ではなく、
それに向かって努力する原動力になりますね。

適度な欲はこの世の発展の力になります。

幸福の科学の信者であれば、

「足ることを知りつつ、仏の事業を助けるために発展繁栄を義務付けられている。」という難しい立場にいるわけです。

このバランスはやってみて体得するしかないでしょうか?

私も良くわかりませんが、二つの相反することを同時にやるようなものでしょうか?

「綱渡りをしながら、飛び跳ねる」とか?

また、何かわかったらお知らせします。


See you again!

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