幸福の科学大学不認可について思うこと

2015年4月開校予定の幸福の科学大学が不認可に

百数十億円の建設費をかけて千葉県長生村に校舎まで建設中の幸福の科学大学の認可申請文部科学省が10月末に不可と返答。

校舎の建設は大学認可申請の条件だった。

建設費は、大学に賛同する支援者達の善意による寄付からなり、1円の税金も使われていない。

大学進学を心待ちにしていた受験生の子供達は知らせを聞いて泣き出した。

国のため人々のために役に立ちたいという思いを持つ子供たちの将来を、文部科学省及び下村文部大臣は、たった一枚の不認可の紙切れで握りつぶした。

多くの人々の善意からなる百数十億円の寄付により建設中の大学校舎も、一瞬で無にされた。

「こんなの人間のやることなんでしょうか?」

不認可の理由

大川総裁の霊言集を大学の単位のほんの一部で教える予定だったことが不認可の理由。

また、霊言集が審議会メンバーへ送られた行為を不正行為と断定。


霊言集は科学的ではないと切り捨てる態度は科学的な態度なのか?

万有引力の法則を数式であらわしたニュートンは言った。
「科学とは実験や観察から原理を導きだすもの」

現象を観察し、客観的に解明するのが科学的な態度ではないのか。

霊言集を科学的ではないと判断した方々は、ニュートンより偉大な科学者でもないのにどうしてそう判断できるのか?

そこに大きな驕りがある。

校舎を建設してからでないと、大学を認可しないとする文部省も
同様に傲慢だ。


審議委員会は霊言集を検討しない自分たちの怠慢を、申請者の不正行為とすり替えている。

ニュートンは言った。
「真理という大きな海は今だ発見されないまま目の前に果てしなく広がっているというのに私はときおり美しい貝殻や小石を見つけて無邪気に喜んでいる。」

ニュートンという大科学者でさえ、真理の大海の前では、わからないこともあることを認め、神を信じ謙虚であった。

霊言を科学的でないと断定した人々は全知全能の神なのか?


大学建設は地方経済を活性化させる

最近の地方大学の都心回帰に伴い大学に移転される地方は打撃を受けている。逆に大学が地方に進出すれば、地方に計り知れない経済的な恩恵がある。

これは自民党が最優先とする「地方創生」と一致しないのか?
税金を使わずに地方経済を活性化させられるのに、
その機会を投げ出している。


私は民間だったら、これらの文部省の一連の行為に対して、文部大臣と文部省宛に損害賠償請求すべき行為だと思う。

以下文部省のHP掲載不認可理由

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__
icsFiles/afieldfile/2014/10/29/1357077_4_2.pdf

比例は「幸福」(全国どこでも)


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